「ここ」は、過去の遺物に満ちていた。飯山由貴のインスタレーションは、高さ2メートル近い二本の鉄のポールによって空中に張られた巨大なタピスリー、その周辺に配置された木箱や農具など、そして会場の床に敷き詰められた波板トタンから成っていた。
まずは眼を引く巨大なタピスリーを見てみよう。白と黒の毛糸を編むことによって、飛行機が描かれている。それは、画面左上から右下に向かって、炎と煙を上げながら、勢いよく墜落しつつあるようだ。背景に描かれたのは海面だろうか。タピスリーの画面には実物の鎌が刺さっている。詳細や理由は分からない。飯山は、どこかで手に入れた古い写真を、タピスリーという手間のかかる方法で巨大な絵画として複製した。その制作作業にかかる膨大な時間を想像し、そして、そもそもここまで巨大な編み物を一人でつくることの馬鹿馬鹿しさを思うと、度肝をぬかれる。
タピスリーという絵画手法は、もともと板絵を意味するタブローより古くから存在する。飯山は、その工芸的な古い技法をもって、ゲルハルト・リヒターのごとく事故写真を絵画化してみせた。それは、多くの同種の作品と同様に、映像的な不鮮明さを示している。だが、タピスリーの編み目は、コンピュータ画面のピクセルを思わせるクールな効果を生み出しつつ、同時に手仕事の暖かみを備えていて、見る者を戸惑わせる。このように、何か一つの要素や傾向に絞り込まず、対立した複数の質を敢えて共存させようとするところに、飯山の独自性を認めることもできるだろう。
次に、タピスリーを取り囲むものに眼を向けてみよう。会場の床には錆びた波板トタンが敷き詰められ、その上には、竹で編まれたカゴ、「大正八年」云々と書かれた木箱を組み合わせたもの、角材を組み合わせた簡素な背負子、錆びた鍬とフォークを組み合わせたもの、古びた縄とスコップ、そして赤いタマネギが転がっている。
それらの古びた素材は、すべて飯山の実家で拾ってきたという。何世代にもわたって土とともに生きてきた人々の手垢がしみついた農具には、抗いがたい味わい深さがある。錆びた古い波板トタンは、自然の暴力性と朽ちてゆくもののあわれを生々しく伝えている。その上を歩くとギシギシと音を立て、埃が鼻と喉に入ってくる。このインスタレーションは、聴覚や嗅覚をも刺激し、ダイナミックな照明とともに荒野のヴィジョンを喚起させるスペクタクルをつくっている。これは、311以後の不穏な時代に訴えうるものにはちがいない。
だが、タピスリーに刺さっていた鎌、フォークと鍬を組み合わせた立体物は、単に錆や古さが廃墟を思わせて不穏なのではない。特に鎌という農具は、1917年のロシア革命のシンボルでもあり、まさに革命芸術のモチーフであったのだ。 しかし当然ながら飯山の作品には革命への意識はみじんもない。すなわち20世紀の初頭には革命のモチーフとして使われた農具が、21世紀にはもはやその意味を失ったのである。だが、そのモチーフがもっていた不穏な意味部分が、果たしてゼロになったといえるだろうか。
仮に作者が知らなかったとしても、また、誰もが忘れてしまったとしても、モノが持っていた歴史的な意味は、影のように無意識のうちに潜み込んでいる。あるいは、モノと意味のつながりが失われたという喪失感そのものを、もはやその意味を知る手がかりさえ無くなったとしても、人はそれを直感することができるのではないか。
いってみれば「作品」とは、失われた意味を抱えたモノである。それは、そもそもモノと意味の完全体としては存在しえないがゆえに、完全性を夢想するしかないサガをくすぐるのだ。
2011年11月28日来廊
足立 元
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