2011年12月3日土曜日

暮沢剛巳 記述

飯山由貴の今回の個展には「現代アートの考古学」というサブタイトルがついている。これを見て、少なからぬ観客が次のような疑問を抱くに違いない。現代アートとは現在進行形のアートのことを指すのに対し、考古学とは太古の昔について調査や研究を行う学問のことを指す。両者は大いに対照的な存在であり、併存はどうしたって矛盾を免れないのではないか、と。
この疑問に対しては、本展の展示そのものが何よりの回答となるだろう。具体的な手順としては、まずギャラリー内に画布、トタン板、脚立、鉈などからなどからなる「作品」が仮設され、次いで写真や映像による記録が終わった後、その一部を残して撤去するという具合に進行する。オープンした時点で当初の「作品」は一部を残して既に消滅しており、観客が直接見ることができるのは、一部の残存物と写真や映像に残された「作品」の記録だけだ。農家の倉庫のような空間造作といい、写真や映像に依拠して既に存在しない「作品」を鑑賞する流儀といい、この趣向を凝らした展示に両者の併存を見てとることは決して不可能ではないだろう。
それでもまだ、一部の観客はなおも問い詰めるかもしれない。本展はいわゆるインスタレーションだが、それはランドアートやパブリックアートなどと同様にミュージアム批判の文脈から登場した表現方法だ。他方、考古学の研究はミュージアムのリソースなしには成り立たない。やはり両者は相容れない関係にあるのではないか、と。
この疑問に対しては、「ミュージアムは霊廟である」というアドルノの言葉を対置してみたい。この言葉は同じくミュージアムを墓所や死体置場に喩えたヴァレリーやプルーストの系譜に連なっており、一定の伝統の上に成立している。こうしたミュージアム批判の文脈と、考古学のリソースとしてのミュージアムの在り方は親和性が高く、本展のインスタレーションもそれを踏まえたものとなっている。両者は決して相容れないわけではないのだ。
あるいは、また違った視点から疑念を抱く観客もいるかもしれない。70年代に登場したインスタレーションも、美術の1ジャンルとして定着した今は、すっかり収まりがよくなってしまった。インスタレーションという表現が既にミュージアムに飼いならされてしまった以上、今回の展示ももはや「現代アートの考古学」というより「現代アートという考古学」になってしまっているのではないか、と。
この疑問に対しては、現代の日本では、既にミュージアムは墓場や死体置場という比喩が最もふさわしいインスティテューションではなくなってしまったと答えておこう。その現実は、例えば北の丸の一角で多くの来館者で盛り上がる国立美術館(ナショナル・ミュージアム)と、その脇でひっそりとしている国立古文書館(ナショナル・アーカイヴ)のたたずまいを対比すれば一目瞭然である。しばらく以前に、古文書館の研究官に「なぜおたくは申し訳程度の展示しかやらないんですか」と質問したところ、間髪いれずに「うちをお隣さんと勘違いしてない? 近美のコレクションは客に見せるためのものだけど、うちのは隠すためのものだから」と切り返されたことがある。一見冗談ともつかないこの返答にも、今後のインスタレーションの展開のヒントが潜んでいるのではないか。
いくつかの疑問を梃子に考えてみても、「現代アートの考古学」の実相はよくわからないままだし、そもそも今回の展示はほんのプロローグに過ぎない。困難な試みには違いないが、若い飯山今後も是非ともその可能性をつきつめて欲しいと思う。ミュージアムでの、さらにはアーカイヴでのインスタレーションを視野に入れつつ……


 2011年11年28日 来廊
暮沢剛巳













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